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梅干の歴史
梅干しは中国から日本へ渡来しました
中国から伝わった梅干
奈良朝あるいはその少し前、はじめは梅の実を燻製にした「烏梅(うばい)」(現在の梅干とは
少し違います)として日本に渡来し、熱さまし、咳止め、吐き止めなどに用いられていたようです。
「万葉集」に出てくる花の歌は、萩の約140首についで、梅は119首で第2位、桜は40余首と数えられている
ようで、奈良朝時代には、梅の花が大変人々に愛されていたことがうかがえます。
中国から渡来した、当時はまだ珍しくて美しい梅の花は、観賞用として人気だったようです。
平安時代の梅干
梅の花は観賞用から、香りを感じ楽しむものへと変わっていきます。
村上天皇がご病気の折に、梅干と昆布入りのお茶でご回復されたことが、平安時代の中期の書物に
記載されています。これが江戸時代の「福茶」の習慣になったものと考えられます。現存する最古の医学書「医心方」の中に、梅の実、梅の花や烏梅の効用として、
熱さまし、吐き気止め、口の乾き止め、下痢止めなどがあげられています。
梅干しは薬として利用されていたのですね。
鎌倉〜室町時代の梅干
有名な臨済宗の禅僧、栄西が「喫茶養生記」で茶の効能を説き、この頃の僧が
茶菓子として梅干を供したとあります。禅宗が徐々に広がるにつれ、禅宗を敬う風潮が武家の
食膳にも及んで、梅干が添えられるようになったとのことです。
室町時代には、梅干しは食膳に供されるようになりましたが、まだおかずまでにはいたらず、
ただ見て唾液を出させる役割、食欲を進めるためのものと考えられていたようです。
戦国時代 薬として貴重な梅干
戦国時代になると、梅干は薬として貴重で、倒れたときや元気を失ったときなどに唾液を
催させる「息合の薬」として用いられていました。戦国時代の武士は、食糧袋に「梅干丸」を
常に携帯していたそうです。梅干の果肉と、玄米の粉、氷砂糖の粉末を練った丸薬は、
激しい戦いや長い行軍での息切れを調えたり、生水を飲んだときの殺菌用にと大いに
役立ちました。傷口の消毒や、出血の際の薬にも使ったようです。
江戸時代 一般庶民の常備食品としての梅干
江戸後期になると、梅干は一般庶民の常備食品として、食卓にのぼるようになりました。
江戸では、大晦日や節分の夜に「福茶」といって、梅干しに熱いお茶を注いで飲む習慣ができました。
病気を避け福を呼び込むならわしですが、たまたまかぜを引いたり、胃腸を壊しやすい時期なので、
これに必要な健康対策として定着した庶民の知恵ではないでしょうか。
お正月には「食い積み」として神前に供える一品に、梅干も入っていました。
田辺藩は、田辺や南部の梅問屋を「梅干卸仕入方掛」に任命し、南部を含む周辺の村から
良質の梅干しを選び、「紀伊田辺産」の焼印を押した樽で江戸へ出荷して人気を博しました。
これを江戸では「田辺印」の梅干といって、たいへん珍重したそうで、その頃から和歌山の梅干しは
有名だったわけです。
江戸時代からしそを使った梅干が普及されるようになりました
この頃から、しその葉を使って梅干しを赤く色づけするのが一般に広がり、しそ梅干が普及したようです。
いろいろな漬け方の種類がだいたい決まってきたのが江戸時代で、また、古漬けの梅干しが「長寿の薬」として
尊ばれるようになりました。古い年数の梅干は旧家の証拠であり、たいへん貴重なものとされたそうです。
明治時代の梅干 厄病予防と健康食品へ
明治になってからも梅干は身近な保健薬であると同時に健康食品でした。病気に対する薬効は大きなものが
あり、コレラや赤痢などの伝染病が大流行した時にも、梅干しが薬として使われたようです。
日露戦争が始まると、軍需用としても梅干しの需要が伸び、白いご飯の真ん中に梅干しを埋めた「日の丸弁当」
の呼び名は、この頃生まれた言葉のようです。
現在の梅干
そして現在、梅干のさまざまな効能も科学的に証明され、身近な健康食品として人々に愛されています。
減塩ブームから、減塩梅干しが人気をあつめ、はちみつで甘く仕上げたはちみつ梅干などの調味梅干しが
考え出されました。すっぱい梅干しが苦手で、梅干し嫌いだった方にも、食べやすい調味梅干しが出回るようになり
梅干のイメージが変わってきているように思います。
美味しくて健康に良くて、いいことづくしの梅干し。
これからまだまだ効能などが発見されるなど奥が深そうです。
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